■ 概説「協住の家」

そもそも「協住の家」とは、コハウジング(Cohousing)の一つのモデルである。「協住の家」とは、「共通する価値観に基づいて、個人(家族)と適度な規模の集団との関係の中に擬制的大家族を構築していこうとする目論見で始めた協住型コミュニティ」と、稿者は著書(2004)『リバースモーゲージと住宅』(日本評論社)の中で論じている。*「協住の家」は当推進機構の商標登録。

当機構の研究活動の両輪となるのは、リバースモーゲージ制度研究の他に、欧米で普及しているコハウジング(Cohousing)の日本版ともいうべき「協住の家(2)」の実践的研究である。100歳も当たり前の超長命な日本人の場合は、最期まで在宅での自立生活には限界性があり、また年金収入だけでは足りない経済的不安などを軽減・解消しながら、“健康で文化的かつ快適に生活”できるとなるコミュニティが「協住の家」であると確信したからである。換言するならば、「協住の家」は“チープ(軽費)でシンプル(簡素)なシェアリングハウスであり、ジェントル(信頼)でフレンドリー(親近感)な疑似家族が構成するクールなコミュニティ”である。 「協住の家」の概念とすると、規範の順守と信頼感、共通の価値観と連帯感、すなわちソーシャル・キャピタル(社会資本)を体現させた居住モデルとも評することができる。

「協住の家」については、2つのタイプに区分できる。一つは、「協住の家」を一つの任意組合として、居住者は例外なく組合員になる仕組みである。いま一つは、非営利法人が世帯主(代表)であり、居住者は「一つの家屋に住み、生計を一にした世帯員(協同生活者)」となる。前者は「組合型・協住の家」、後者は「契約型・協住の家」と区分する。両者の相違点は、主として「協住の家」の世帯の構成にある。世帯員(居住者)全員が共同責任参加なのか、あるいは契約関係上の参加なのか、世帯員(居住者)の権利・義務などの相違が両者を区分している。

■「組合型・協住の家」

持家高齢者(夫婦)が「協住の家」に移り住む。それまで住んでいた家を売却するか、賃貸する、あるいは空き家のまま放置しておくか、の問題はあるが、いずれにしても「協住の家」を終の棲家と決めて最後まで暮らす選択となる。

しかし、実際に「協住の家」を具現化することは決して容易な取り組みではない。それを阻む大きな壁がいくつか存在するからだ。

「協住の家」の研究は、すでにこれまで、かなり面倒なハードルに突き当たっている。一つは、住宅(持家)に対する根強い持家信奉であり、いま一つの厄介な問題として、気ままに過ごせる我が家を出て他者と一緒に暮らす「共住」に、さらに踏み込んで疑似家族との「同居」への戸惑いや不安感がある。とはいえ、年々、病院で最期を迎える高齢者数は増える一方である。かつての親子2世代や3世代が同じ屋根の下で生活する家族像が当たり前であったころと違って、近年は少子化と核家族化、そして着実な長命化ゆえに、日本人の多くが老後の「孤住」と遭遇する。

「組合型・協住の家」の「共有・共用・共助」の仕組みの根底には、地域資源はもとより、不動産から生活用品に至るまで、すべての生活経済財に合理性や効率性を体現させて、所属世帯の家計を軽減し、「生計を一にするメリット」を明確にする目論見がある。さらに評価すべき点だが、「協住の家」の暮らしには、懐かしいかつての家族像の再現ともいうべき“つながり”や“温もり”があることだ。

最大の壁は居住者(組合員)が住んでいる持家の処分である。「協住の家」の運営主体は、共住者全員参加の任意組合を想定している。「協住の家」に参画(入居)する際は、組合に何らかを出資する必要があり、現金の他に持家の現物出資も可とする。地域によっては老朽住宅の現物出資が大半となるのかもしれない。こうした場合は現物出資された家の現金化や収益化が経営的な重要課題となる。となると、住んでいた家の現物出資にも対応できる「協住の家型リバースモーゲージ」が必要になり、常識破りのバリエーションも考えなければならない。例えば民泊化とかタイムシェアとか・・・。

■「契約型・協住の家」

このモデルは、非営利法人が「協住の家」を立ち上げて、新たに世帯員(居住者)を募集する、あるいは最初から入居希望者が一定人数確定していて始まるケースも想定する。世帯主となる法人は、世帯員となる居住者と、原則、「協同生活契約書(覚書)」を結ぶ。「協住の家」の家屋の規模や構造については特段の制約は必要ないが、地域資源ともいうべき既存住宅の利活用が優先的であり、世帯員の家屋を流用できたらベストである。また自宅から日中だけ「協住の家」に通ってくる利用者、あるいは、時々、宿泊もする利用者、こうしたタイプの利用者にも対応できるフレシブルなプラン(契約)も検討に値する。

■「協住の家」の共通要件

「協住の家」の場合、その規模・構造などに特段のルールは必要ないが、居住者には明確な資格要件がある。まず、(1)世帯員(居住者)の価値観や人生観などに一定の共通点が認められること、次に、(2)協住の暮らし方に賛同して協調関係が保持できると認められること、最後に、(3)経済的要件として一定の安定収入(年金など)が認められることの3点である。以上の資格要件は、一つの疑似家族として日々生活していくうえで重要な要件となる。

こうした要件がない場合は「集住」あるいは「共住」であり、「協住」とは言わない。またシニア・シルバー世代向け、多世代向け、あるいは障碍者向けや芸術家向けなどもあってもいい。要するに、「健康で文化的かつ快適」な生活環境が維持継続できる仕組みならば「協住の家」として括ることができる。

「協住の家」の価値・効用については、冒頭でも述べているが、次の3点に集約できる

  • 好ましい隣人関係(ヒト)
  • 健康で快適な居住空間(モノ)
  • 合理的で経済的な協同生活(カネ)

以上の価値・効用は、「協住の家」の場所や風土などにも密接に関係する性格であり、一律的、平板ではない。例えば、人口密集地ならば、(2)の居住空間は狭小化する、防犯機能も重要な価値・効用となる。(1)の隣人関係も快適な居住環境として欠かせない社会関係資源となる。物価やサービス価格が高い都市部では、やはり(3)は重要な要素となる。

こうした観点からすると、集合型住居群ともいうべき構造体のマンションは、「協住の家」とは対極的な居住モデルとなる。終戦後、急激に西欧化に傾斜した日本人が憧れた居住モデルに秘匿性の高いマンションがあった。しかし最近は、そのマンションも、集合性と秘匿性から生じる共同管理の難しさ、建て替えを巡る財産権の衝突など、かつて経験しない種類の問題が顕在化している。したがってマンションを、「終の棲家」とするならば、築後年数やオーナー居住率、さらに管理体制などの調査も必要となる。しかしマンションは本来、不文律な世帯の集合体ゆえに内部的な離合・変化は常であり、世帯主の条件との適合性も重要な検討事項となる。 

いま、日本人は立ち止まって、改めて温故知新、「一つの屋根の下に生計を一にする多人数の大世帯」とも位置付ける「協住の家」の価値・効用について新しい視線を向けて考える時にある。

当機構の研究チームの手で、一日も早く「協住の家」の第1号が建設されることを祈念してやまない。